1938年の生産開始以来、2003年まで生産が続き、四輪自動車としては世界最多となる生産台数、2,152万9,464台の記録を打ち立てた伝説的な大衆車、VW TYPE1。
ビートル、ワーゲンなんて愛称で日本でも親しまれています。一見すると何も変わらぬまま約60年生産されてきたように思えますが、年代によって様々な変化をしてきました。
TYPE1の元祖であるKdF-Wagenが生産されたのは第二次世界大戦直前の1938年。ドイツの首相であるヒトラーは、後にスポーツカーメーカーのポルシェ社の創業者になるフェルディナンド・ポルシェに設計を依頼し、国民車として設計、開発されたのは有名な話です。
1936年ごろの開発中の写真。フロント、リアエンドの形状が特徴的な形。
シルエットはすでにビートルのそれになってきています。
1938年、工場の定礎が行われ、その会場でヒトラー立ち会いの下、ポルシェによってプロトタイプのセダンとカブリオレが披露された時の様子。時代のせいもありますが軍事色の強い車両に見えてしまうのが不思議です。後ろに見えるのが演説を行うヒトラー。
TYPE1の元祖であるKdF-Wagenが生産されたのは第二次世界大戦直前の1938年。ドイツの首相であるヒトラーは、後にスポーツカーメーカーのポルシェ社の創業者になるフェルディナンド・ポルシェに設計を依頼し、国民車として設計、開発されたのは有名な話です。
1936年ごろの開発中の写真。フロント、リアエンドの形状が特徴的な形。
シルエットはすでにビートルのそれになってきています。
1938年、工場の定礎が行われ、その会場でヒトラー立ち会いの下、ポルシェによってプロトタイプのセダンとカブリオレが披露された時の様子。時代のせいもありますが軍事色の強い車両に見えてしまうのが不思議です。後ろに見えるのが演説を行うヒトラー。
この 翌年に第二次世界大戦が勃発し、TYPE1の生産はほとんど行われることなく、本格的な生産は戦後まで待つことになります。
最初期の頃。まだサイドミラーやウインカーはありません。大きな特徴として二つに分かれたリアウィンドウがあり、そこから「スプリット」とファンの間では呼ばれている年代。
1953年中期までがこの仕様です。
1953-57年。リアウインドウが一枚になりましたがこの後の年式より小さいサイズ。「オーバル」と呼ばれている年代です。この頃までは本当シンプルです。
まだまだこの後もTYPE1の生産は続きます。60年の歳月は長い・・。
懐かしい・・・
返信削除昔、俺もぎょーさん本買って勉強したなぁ。
といっても未だに本棚には沢山ならんでるけど。
(社外シフターも地下室に放置したまんまだし)
是非ともジーンバーグ5を組んじゃって下さい。
2000cc超えるといいみたいですよ、アレ♪
ハログレ常連じゃない俺だけど、たまには遊んで下さいね~
SR然り、空冷VW然り、好みは似てるはずだから。
俺、ハイテクばかりが好きなワケじゃないから(笑)
でわ~
ジョン吉さん>
返信削除お久しぶりです!
ジョン吉さんも前に乗ってたんですよね?
是非また空冷VW乗りになってしまいましょう(笑)
まだまだ勉強中なんでまたいろいろと教えてください!